01 ブランドとデザイン、その関係性を問うことの意味
今、改めて「デザインとブランドの関係性」を問うべき時が来ています。 なぜなら、私たちが日々目にするプロダクトやサービス、広告やロゴが、あまりにも“デザイン主導”で語られすぎているように感じるためです。
近年、AI生成ツールによって、誰もが瞬時に“それっぽい”ヴィジュアルを創出できるようになりました。この技術革新自体を否定するつもりはありません。効率性と表現の幅が飛躍的に向上したことは事実です。しかし、「なぜその形なのか」「その色は何を意味するのか」という本質的な問いが置き去りにされがちです。視覚的な魅力だけで評価されるデザインが蔓延し、思想や文脈を欠いた“見栄え”が溢れているのです。
デザイナーは、単に与えられた指示に従い見た目を整える職能者ではありません。企業の哲学を最も深く理解し、それを社会へ伝える翻訳者なのです。そこに思想という核がなければ、いかに洗練されたデザインであっても、それは空虚な記号に過ぎません。
ブランドが抱く理念、社会との繋がり、歴史や倫理といった目に見えない構造を、具象的な形へと変換することこそが、デザイナーの重要な役割です。
しかし、ブランドの内実が曖昧なまま、表層的なヴィジュアルだけが先行してしまう。あるいは、デザイナーの審美眼のみによってブランドが“形作られて”しまう。そのような状況は、ブランドが本来持つべき一貫性や信頼性を損ない、見る人に“芯のなさ”を抱かせてしまいます。
デザインは、決してブランドを凌駕するものであってはなりません。 かといって、ブランドの後塵を拝する存在でもあってはならないのです。
理想の関係は、「常に隣にあること」。すなわち、企業の理念や思想の微細な息遣いを敏感に捉えながら、同時にそれらを可視的な形へと結晶化していく、揺るぎない伴走者であるべきなのです。
02 デザインはブランドの翻訳である
世界最大のテック企業、Appleは、この理想的な関係を示す最たる例と言えるでしょう。 製品のデザインはもちろんのこと、タイポグラフィー、パッケージング、UI、広告に至るまで、そのすべてに一貫した哲学が息づいており、それがブランドの揺るぎない信頼性を築き上げています。
Appleにおいて、デザインは単なる装飾ではなく、“哲学の翻訳”であり、ブランドの本質を深く表現する不可欠な道具なのです。
ジョニー・アイブ氏が生み出した造形は、スティーブ・ジョブズ氏が語る“思想の輪郭”そのものでした。Appleでは、デザインがブランド哲学に先行することは決してなく、常に並走しています。そこには、哲学が先導しデザインが追随するという一方的な関係ではなく、同時に呼吸するような理想的な共存が見て取れます。
一方、ファストファッションブランド「GAP」は、それまでセリフ体のロゴとネイビーブルーの背景という、アメリカンカジュアルの象徴的なヴィジュアルを長きにわたり守り続けてきました。親しみやすさ、安心感、普遍性といったブランドの重要な価値観が、そのロゴを通じて消費者に明確に伝わっていたのです。
しかし2010年、GAPは突如としてロゴを刷新し、無機質なサンセリフ体と、青いグラデーションの四角で構成された新しいロゴを発表しました。この変更は、GAPがブランドの現代化を目指した試みでしたが、その意図とは裏腹に、消費者からの猛烈な反発を招き、わずか6日という異例の速さで旧ロゴに戻される事態となりました。
この事例は、単なるデザインの好みの問題として片付けることはできません。 ブランドの内側に深く根付いていた哲学と、外に向けて提示された視覚表現が、同じ速度で歩調を合わせていなかったのです。
企業の根幹にある思想とデザインが乖離してしまった結果、消費者は「らしさ」を見失い、ブランドへの信頼感に揺らぎが生じたのです。
さて、このブランドとデザインの関係性において、もう一つ特筆すべき、まるで例外のような存在があります。それが「無印良品」という、ある意味で奇妙なブランドです。
ブランドが眩いばかりの輝きを放っていたバブル時代に誕生した無印良品は、その出発点において、自らが“ブランド”であることを否定するという逆説的な姿勢を取りました。
発足当初、同社は「ノーブランド」として市場に投入され、広告宣伝といったブランド活動を極限まで排除し、「名前ではなく、商品の本質で選ばれるべきだ」という独自の思想を掲げていました。
事実上の生みの親である堤清二氏は、無印良品を「反体制(アンチブランド)商品」とさえ表現しています。つまり、既存のブランドのあり方を意図的に否定すること、それこそが無印良品というブランドの核を形成したのです。
無印良品においてのブランドとデザインの関係性は、主従でもなければ単なる並走でもありません。むしろ、哲学そのものがデザインとなり、デザインそのものが哲学を語っているのです。
ここには、「どちらが先か」「どちらが強いか」といった構造的思考が入り込む余地がなく、ブランドとデザインが“未分化のまま存在している”ようにすら見えます。
それは、デザインがブランドの顔であるという一般的な理解に対する、一つの異端的でありながら誠実な回答なのかもしれません。
03 競争ではなく協調という「距離感」
ブランドとデザインの関係において、最も本質的な要素は「距離感」です。
一方が他方を支配するのではなく、あたかも呼吸を合わせるように、同じリズムで歩むこと。
それは、競争というよりも、むしろゴールを目指す二人三脚のような協調関係です。足並みが乱れれば転倒するように、どちらかが早すぎても、遅すぎても、その歩みは危うくなります。
しかし現代社会は、この繊細なバランスが崩れやすい状況になりつつあります。
AIツールやデザインテンプレートの普及によって、誰もが容易に“それっぽい”デザインを生み出せるようになりました。この手軽さの裏側で、私たちは大切な何かを見失いつつあります。それは、「なぜこのデザインでなければならなかったのか」という根源的な思想です。
ブランドとしての核となる信頼や姿勢が曖昧なまま、表層的なデザインだけを施しても、その方向性はすぐに迷走してしまいます。そして、そのような表面的さは、受け手にとって容易に見抜かれるものです。外見だけが整えられたブランドは、その内実の伴わなさを露呈し、信頼を失う時代になったと言えるでしょう。
だからこそ、デザインはブランドの隣にいる存在でなければならないのです。
常にブランドの隣に寄り添い、その鼓動を感じる存在でなければなりません。
デザインは、企業の理念に深く寄り添い、その本質を社会へと的確に伝える翻訳者です。
その翻訳された意匠がどんなに美しく洗練されていても、翻訳されるべき原文、すなわち企業の思想が脆弱であれば、それは単なる“見栄えの良い飾り”に過ぎません。
見栄えではなく、意味をつくること。デザイナーがブランドの倫理に対して誠実であること。それが、これからの時代に求められる本当のクリエイティビティではないでしょうか。
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